旅する横道逸夫ちゃん
No.34314
>>34313

ほんとはHNを

超巨大まりもに阿寒湖へ突き落とされ溺れる牛を救助する旅する横道逸夫ちゃん

としたかったのですが、長いので…

日和佐が出てきたので、これは旅する横道逸夫ちゃん👶の出番🔥 ってことで、のこのこ現れました😅

日和佐(ひわさ)駅 徳島県海部郡美波(みなみ)町 JR牟岐線
※撮影は2006年4月3日。スタンプは1989年押印。
美波町の旧・日和佐町エリアにある駅です。旧・日和佐町は、逸夫ちゃん👶が日和佐駅の写真を撮影した直前の2006年3月31日をもって消滅し翌日から隣接する由岐(ゆき)町と合併の上、美波町となりました。駅名標は所在地がちゃんと美波町になっています(合併して3日目)が、元々「徳島県海部郡日和佐町」とあったところに「徳島県海部郡美波町」と書かれたシールが貼付されておりました。
スタンプに「大海亀が産卵に来る駅」とある様に、旧・日和佐町の大浜海岸は、アカウミガメの産卵地として有名。「産卵に来る駅」って、さすがに大浜海岸から少し内陸寄りにある日和佐駅にまでアカウミガメさんはいらっしゃらないですが。
また、この日和佐駅は駅舎が「道の駅日和佐」と一体化されています(1989年時点ではそうはなっていませんでした)。右上の写真に「道の駅日和佐」の建物が見えます。ご当地ソフトクリーム大好きの逸夫ちゃん👶、道の駅で販売されていた「すだちソフトクリーム」をもちろん賞味いたしました😋
右下の写真の列車は、徳島駅始発の海部駅行き普通列車。撮影後20年、今ではもうこの型のディーゼルカーはなかなか見られなくなってきました。列車のヘッドマークは撮影当時チーム発足2年目だった徳島インディゴソックス応援ヘッドマーク。

日和佐高校は、同じ海部郡内の海南高校、宍喰商業高校と統合され2006年に海部高校となったのは、以前申した通りでございます。2006年は、町の合併に高校の統廃合、このエリアではいろんなことがあったんですね。



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💬 返信コメント:3件

脇道逸太
No.34318
>>34314

オマケはもう少し短めに
優勝高校や準優勝した高校等を深堀りしてくだされ

🎵愛の摩周湖 (布施 明)

🎵マリモの唄 (芹 洋子)

旅する横道逸夫ちゃん
No.34317
>>34314

ちなみになんですが、日和佐駅のスタンプ押印が1989年8月8日となっていたので、この年の夏の甲子園大会って? と思って少し調べてみました。
第71回大会で、開幕は8月9日。開幕試合は初出場どうしの対戦、広島代表・近大福山vs栃木代表・佐野日大。今選抜大会で佐野日大の監督として甲子園に戻ってきた麦倉洋一氏が当時佐野日大のエース。この試合でももちろん先発登板し9イニング無失点で1ー0の完封勝ちに大きく貢献。
私の中学校の後輩・谷佳知(元・オリックス→巨人→オリックス 面識はない)がいた香川代表・尽誠学園が初の4強入り。
決勝は、宮城代表・仙台育英vs東東京代表・帝京。すなわち、大越基(元・福岡ダイエー)vs吉岡雄二(元・巨人→近鉄→東北楽天)。両エースの投手戦となり0ー0で延長戦に入りましたが、10回表に帝京・鹿野選手が放った2点適時打が決勝点となり帝京が甲子園大会初優勝。大会屈指の剛腕・大越投手は最後の最後で力尽き10イニング無失点投球の吉岡投手が胴上げ投手に。仙台育英は初の決勝進出でしたが、初優勝目前で散る。ここから2022年夏の甲子園大会初優勝まで33年かかりました。

懐かしい…。

昭和スタイル
No.34315
>>34314


私も日和佐には思い出があります。
大昔、山口に仕事で駐在していた頃、盆休みに友人と車で四国一周をしたのです。
その時にテントも積んでホテルなどに泊まらずに野宿で一周しようと。

ところがちょうど夏の甲子園の時期でカーステレオで聞いていたところ、宇部商業が劇的なホームランで勝利したのです。
私はそれほどでもなかったのですが、友人は山口の出身で思い入れが強く、どうしてもテレビで(ニュースを)見たいと言い出して、仕方なく野宿はやめて素泊まりで旅館に。
当時ですから、100円玉をテレビとエアコンに入れながら見ました。

その旅館の受付の時に「ウミガメ(の産卵)を見に来たのですか?」と言われたのです。
全然そんなつもりもなく、日和佐ってどんなところかもしれなかったのですが、敬意を表して「そうです」といったものですから、色々と日和佐の説明をされてしまいました。
まあ、ウミガメはともかく、せっかく泊ったのだから周囲をちょっと散策しようと夜に外に出たのです。
すると遠くにライトアップされた城壁のようなものが。

あれがさっき旅館のおばさんが言っていた日和佐城かと思って20分くらい、そっちの方に歩いていきました。
すると目の前に現れたのはホテルかレストランの日和佐城を模した看板だったのです。
結局、本物の日和佐城にはお目にかかれませんでした。


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