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>>353653
日本プロ野球機構に申請し、ウォーカーを『ゴマメ』として扱って貰う。💦
ウォーカーがレフトの守備についた時は、レフトに打球が飛んだ時点で、全てアウトになる💦
>>353653
巨人さんから頂いた「ウォーカー取扱説明書」
1.センターは左中間、ライトは右中間に守る。
(即ち、外野は二人制)w
2.中継プレーは、ショートは5メートル地点まで近づく。
(ウォーカーさんは5メートルの球投げを特訓する)w
周東
近藤
柳田
山川
栗原
ウォーカー
今宮、イサミ
甲斐
牧原、三森
こんな感じになるでしょうかね
牧原の2番は周東が生きない
ウォーカー次第では指名打者山川はあるだろうけどしばらくは使うでしょう
アキラは左に弱いのと得点圏低いので臨機応変に
正木、廣瀬、井上もスタメンで見たい
松本晴フォーム変わってて残念。前はゆったりしたフォームと投げる球にギャップがあって杉内2世みたいなフォームで期待してたのに。大津と笠谷期待しかない。
昨夜のテレビ番組、ジョブチューンは昭和のヒット食品。野球関係がいくつか出てきた(笑)
【ハイチュウ】
アメリカでのブームの火付け役となったのは、当時メジャーのレッドソックスに所属していた田澤純一投手が差し入れをハイチュウにしたのがきっかけらしい(笑)先ずメジャーの各チームで流行り、その後アメリカ全土に広まる。いまや日本よりアメリカの方が売り上げが多いです(笑)
そのハイチュウも来年で発売50周年。時の流れははやいものだ(笑)
【ヤクルト】
発祥地について触れていなかったが、福岡の唐人町が発祥の地です。
ヤクルトの創業者である代田さん(シロタ株)の研究所がありました。今でも地下鉄唐人町駅を出て、ペイペイドームに向かう途中に、ヤクルトの自販機があって、ヤクルト創業の地 と刻まれた記念碑があります。記念碑の上部はヤクルト飲料の容器の形をしており、「健腸長寿 代田稔」と刻まれています。気づかなかった
人は、今度、ペイペイに行く時に見てください。そのまま、福岡にヤクルト本社が根づいていたら、今頃、福岡にはセ・パの2球団が存在したかもしれません(笑)
たまに巨人板みてますが、ウォーカーの取説わたしてないのか? って投稿ありました。
南海ホークス物語㊽
門田博光は孤高の人である。人と群れることが大嫌いだ。試合前は誰とも話さない。マスコミやファン・チームメイトが話しかけても、返事が返ってこない。ロッカーが隣のカズ山本が、「門さん、おはようございます!」と挨拶しても、いつも無視されていたという。
「試合前は、気持ちを高めている時間帯。誰かと会話すると、折角の集中力が、どこかへ飛んで行ってしまう。」人と話さない理由を、門田は後にこう説明していた。
昭和60年5月の近鉄戦、カズ山本は大記録を達成しようとしていた。日本初の「サイクル・ホームラン」である。この日、2ラン・満塁・ソロと3本の本塁打を放っていた山本は、あと3ランが出ると偉業達成である。
8回裏ランナー1塁。4番門田に打席が回ってきた。門田が出塁すると、次打者山本の3ランの可能性が出てくる。門田が山本に声をかけた「必ず出塁するから、ホームラン打てよ!」
「門さんが僕に話しかけてくれたのは、その時が初めてじゃないかな。本当に感激した。」山本は語っている。門田は粘ったが、なかなか打てる球が来ない。最後、外角低めの球をひっかけ、ボテボテの三塁ゴロとなった。
「万事休す」と思った次の瞬間、山本は驚きの光景を目にする。アキレス腱を切り、全力疾走が出来ない門田が、鬼の形相で一塁に向かって走っているではないか「門さん、また怪我する!もうやめてくれ!」山本はそう思ったという。
最後は転ぶようにしてヘッドスライディング!残念ながら、アウト。山本のサイクル本塁打は成らなかったが、ベンチは総立ちで、門田を拍手して迎えた。
「それまで、門田はチーム内で少し浮いている存在でもあった。誰ともツルまない修験者のような存在だった。しかし、あの日以来、真のチームリーダーになったと思う。みんなが『この人について行こう』そう思った瞬間だった。」穴吹監督の言葉である。
人の何倍も練習し、結果を残していた職人肌の大打者は、こうしてチームリーダーになっていった。
翌日、前日の全力疾走のお礼を述べようと、山本は門田に声をかけた「門さん、おはようございます!昨日はありがとうございました!」
やはり、返事は返って来なかったそうである……(笑)
>>353650
お声掛け、ありがとうございます!
私は昭和40年(小1)の優勝決勝戦(東映とのダブルヘッダー。広瀬が尾崎からホームランを打ち、鶴岡監督が胴上げされた試合)から徐々に記憶がハッキリして来ております。
『あの頃のホークス』さんは、ちょっと先輩でいらっしゃいますでしょうか?
南海物語でお察し頂ける様に、ホークス狂いの人生を送って来ました。南海ファンは鶴岡ファン(野村嫌い)の方が圧倒的に多く、野村監督の復帰を願っておられたとお聞きし、大変親近感を感じさせて頂きました。
杉浦、皆川、江本、加藤伸一、村田勝喜、大道と場面、場面でドラマを見せてくれ、我々の記憶に刻み込まれたと思います。
ホークスファンと言う生き方をして来た私ですが、選手達がそれぞれの時代で、懸命にプレーし、ファンに感動を与えてくれたこのチームの記憶を、何とか残したいと書き始めました。
拙文を読んで頂き、本当にありがとうございます。
これからも、昔話をちょくちょくお聞かせください。
😃😃😃
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