20061絶不調地獄でもがき苦しむ情けない横道逸夫 
>>20036
務田(むでん)駅。 愛媛県宇和島市 JR予土線。
※庇つきの待合スペースと手洗所とが一体化した建築物があるだけの小さな無人駅。宇和島市街地から山間部を抜けて盆地に入ってすぐのところに位置していて、周辺は開けた農村地帯という感じ。駅前にはサ○クスがありました(2007年下車時)。現在はフ○ミリーマートとして営業していることでしょう。隣の きたうわじま(北宇和島)との間は、予土線の列車がたいへん難儀するカーブや急勾配が連続する山越え区間(平野部の北宇和島→盆地内の務田へ一方的に上る)で、勾配を上る列車も下る列車もソロリソロリと低速で走行する為「もっとサッサと走られへんの?」と思ったりもしますが、車窓からの眺望は良いです。今からその急勾配を下る1両ぽっちの宇和島行き普通列車を見送ります。

宇和島市からの甲子園出場校
☆宇和島東高校
春4回夏9回出場。甲子園初登場は1987年夏。この大会では初戦で一関商工(岩手 現・一関学院)に零封負けを喫し早々と姿を消しましたが、間髪入れず翌1988年春のセンバツ大会に出場。初戦となった2回戦で野洲(滋賀)を下して甲子園初勝利を手にすると続いて近大付(大阪)、宇部商(山口)と有力校を連続で倒し4強進出。準決勝では強豪校・桐蔭学園(神奈川)を延長16回に及ぶ接戦の末倒し決勝進出。決勝では好左腕・山田喜久夫(当時2年生 後に中日)擁する東邦(愛知)との対戦となりましたが、「牛鬼打線」が序盤であっさり山田投手を攻略し勝利、センバツ大会初出場初優勝の離れ業。ですが以降の甲子園大会では8強入りが春に1回あったのが目立つ程度で、夏の甲子園での初戦突破は3回だけというのが意外といえば意外です(←個人の感想です)。
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