18704横道 逸夫(よこみち それお) 
>>18689
餅原駅。 宮崎県北諸県郡三股(みまた)町 JR日豊本線。
※田園地帯にある小駅。「餅」の字が入る駅って、ここだけではないでしょうか。そもそも「餅」の字が入る地名ってのがそんなに無いように思います。
三股町は、宮崎市と都城市との間にある町で、町域が都城盆地に入っています。
都城市と言えば、春1回夏8回の甲子園出場・都城高校。夏8回出場という数字は県内では9回の日南学園に次いで2番目ですが、1999年夏以来甲子園出場がありません。春1回の出場というのは1984年。その大会では後に南海ホークスに入団した大型左腕・田口竜二を擁して4強入りしました。桑田真澄・清原和博2年生のPL学園(大阪)と準決勝で対戦したのですが、その田口と試合途中から救援登板した桑田との投手戦となり0ー0で延長戦に入りました。試合が決まったのは延長11回裏。PL学園二死1塁で桑田が右翼へ平凡な飛球を打ち上げました。誰もが「チェンジ」と思った次の瞬間、なんと右翼手がその飛球を落球。ボールが転がる間に1塁ランナーが長駆ホームインしPL学園が1ー0でサヨナラ勝ちという、都城高校にとっては悲劇的な結末となりました。
続いて夏の甲子園に連続出場した都城高校は、初戦で春に件の落球を犯した右翼の選手が本塁打を放つ活躍を見せるなどで勝利。そして3回戦では同じく春夏連続甲子園出場を果たしていたPL学園と再戦することになりました。注目の試合となりましたが、PL学園の打線が爆発し、1ー9で敗れました。なにかと印象に残った1984年の都城高校でした。
なお1984年のPL学園ですが、春の決勝戦は剛腕・渡辺智男擁する伊野商(高知)に敗れ準優勝。続いて夏も決勝進出しましたが、木内幸男監督率いる取手二(茨城)にねじ伏せられ準優勝。当時のPL学園にしては、やや不本意な1年になりました。
都城市に話を戻し、都城市内からは他に都城商高が夏2回、都城農高が夏1回、東国原英夫氏の母校・都城泉ヶ丘高校が春1回、それぞれ甲子園に出場しています。
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