北海の巨人
No.33450
>>33440

俺が高校野球のとりこになったのは、バンビ坂本の東洋大姫路vs東邦の決勝の辺りかな。今はあの頃ほど入り込めなくなっているが⋯。

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💬 返信コメント:2件

昭和スタイル
No.33452
>>33450


バンビ坂本が敗れた東洋大姫路の投手は松本正志。
その年、福島商のエース、球界の玉三郎こと三浦広之と阪急のドラフト1位、2位となりました。
でも、坂本、松本、三浦ともにプロでは活躍できませんでした。
本当に厳しい世界ですね。

ちなみに、その年、1977年は私が大学に入った年で、神宮球場に行ったら目の前で江川が投球練習をするのが見れました。
ずいぶん陽気でチームメイトにも人気があるのが感じられましたよ。
そして、速い!、なるほどこれが豪速球というやつかって思いましたね。(でも投球練習なので実際には全力じゃなかったはず)

HIMASPO 編集長・ヒマタク
No.33451
>>33450

バンビ坂本は、1977年。ヒマタク🚕はやっつ、小学校2年生。

夏休みで昼間にお家🛖に居て、テレビ📺️の字幕に出た「東洋大姫路」の文字を見た記憶がおぼろげながらあります(小2ながらこの漢字が読めた! 大型時刻表に慣れ親しんでいたお陰😤)が「なんか野球やってるな 昨日も東洋大姫路ってテレビ📺️に出てたな、そういや」程度で詳しいことまではわからなかった、って感じ。
牛島香川の浪商は、ちゃんと意味がわかって見てた。その頃ヒマタク🚕家では朝◯新聞をとってて、この年に新聞屋が空白になった大きなトーナメント表(四つ切り画用紙の大きさくらい?)をくれたんで、組み合わせが決まるたびにその表の空白に高校名を書いていってた。

高校生くらいの頃は、春も夏も新聞記事を切り抜いて大学ノートに貼りつけるほどのめり込んでたで。大学卒業して社会人になったらそんな時間はよう作られへん様になったんでやめたけど。入社した会社の入社時研修(1週間)とその年の選抜大会の日程が重なって、これはもう無理だな、作れないな、と(たしか駒大岩見沢が4強入りした大会やったと思う)。春は1大会で1冊、夏は1大会で2冊作ってたからノート何冊になったやろ。今のHIMASPO本社への引っ越しのゴタゴタでそのノートを処分してしまったのは、痛恨の極み😩

で、タクシー🚕の乗務で日々お疲れモードとなってきちんと高校野球を見られなかった何年かを経て、現在に至る。各都道府県の春季大会秋季大会、各地区の春季大会秋季大会にまで注目する様に。そして、まさかのHIMASPO社創立😤 社員も4名(編集長🚕以下、👶、👅、📡)😤 これが、身体に不調をきたして労働(タクシー🚕乗務)不能になったが為の産物、というのはちょいと複雑ではあるが。


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