>>26627
折角ですので、盛田幸妃投手に関するお話。
函館有斗高校は1985年夏の選手権大会で甲子園に出場し、盛田投手は1年生ながら甲子園のベンチ入りメンバーに。初戦の沖縄代表・沖縄水産高校戦で救援投手として甲子園のマウンドに上がりました。その沖縄水産高校には、盛田投手同様1年生ながら甲子園のベンチ入りメンバーだった上原晃という投手がいました。そしてその上原投手もこの試合で救援投手として甲子園のマウンドに上がりました。
その2年後、1987年夏の選手権大会。函館有斗高校も沖縄水産高校も甲子園に出場することになり、なんと初戦で函館有斗vs沖縄水産というカードが組まれました。盛田、上原、両投手は最上級生として、背番号「1」を背負い先発のマウンドに立ちました。2年前に同じ試合で救援投手として投げた1年生投手が2年後再び同じ対戦で今度はチームのエースとして投げ合うという、かなり珍しいケースでした。この試合では2ー3で上原投手に投げ負けた形となった盛田投手は「彼(上原)とは、またどこかで投げ合う気がする。」というコメントを残して甲子園を去った、と新聞記事で見たのですが、盛田投手はその後大洋入団、上原投手はその後中日入団、となります。実際プロとして同じ試合で投げ合うことがあったのかはちょっとわかりませんが、北海道と沖縄という大きく離れた地に住むふたりの高校生がこんな形でつながるのか、こういうこともあるのね、人と人との縁って不思議だな、と当時のヒマタクは思ったものです。