ダイエーホークス物語56
1989年ホークスは博多に移った。ライオンズの聖地で地元の人に応援して貰えるだろうか。関西のファンの一番大きな心配はそこだった。
平和台球場の西武との開幕戦。せめて少しでも応援する者がいないと選手が不憫だと、応援団を中心に30名程がツアーを組んだ。球団に届け出でると「笛太鼓・ダイエー応援旗で応援する事」「南海の旗は振らない事」を条件に、席は球団側で用意された。
球場についてみると我々の席は内野席であった。球場を見渡すと8〜9割以上西武ファンのようである。中でも我々の近辺は完全アウェーであった。
試合が開始され応援を始めた。しかし、我々が三三七拍子をリードしてもお客さんはついて来ない。旗を振ると「邪魔や!振るな!」と怒号が聞こえて来る。
「ホークスは大変な場所に来てしまったな」絶望的な気分になった。
試合後半戦、応援してやらないと選手が可哀そうと続けていた時、ある酔っ払いのお客が若い応援団につかみ掛かってきた。「旗を振るなと言うたろうが!こんな旗、破ってやる!」。
応援団とそのお客が揉み合いになろうとした時である。ある男性が大声で助け舟を出してくれた。「あんた、黙って見てなさい!折角ホークスが博多に来てくれたんやない!みんなで応援してやらんね!」そうすると、何と周りのお客さんからも「そうや!そうや!」の声が掛かった。
その後、お客さんの間から「頑張れ、頑張れ、ホークス!」の合唱が始まった。それからというもの、我々のリードに多くのお客さんが応えてくれ、内野席からもホークス応援の声がグランドに届いた。
試合は、山内孝徳の完投勝利でホークスが平和台で見事なデビューを飾った。試合が終わり帰りの新幹線。私は応援団の中で「長老」と呼ばれる70代の団員の方と隣の席になった。開幕戦勝利にビールで乾杯し、旨そうに勝利の酒を飲みながら長老は「しかし、よかった。ホークスはええ所に嫁にいったなあ。あの人達ならチームを大事にしてくれるやろう。これでワシも心残りないわ。」と話し安心したように眠りにつかれた。
長老は、その試合を最後に引退され、翌年他界された。
ホークスはこうして、九州で少しずつ根付いていく……