ホークス物語99
ダイエー球団は、球団買収時『南海色を消す』方針を打ち立てていた。応援団は、南海旗の球場への持ち込みを禁止され、南海ホークスの歌も演奏自粛を要望されていた。
南海グッズ販売業者も、ホークスのグッズ販売店での取扱を拒否された。南海グッズは、世の中から消える運命となった。
西宮や藤井寺にホークスが来ても、南海の面影は消されていた。新しいファン層獲得の為には、ある程度仕方ない対応だったが、それが理由でチームから離れたファンも多かった。
時代は下り、2008年、孫オーナーは『オールドファンも大切にする』イベントを企画してくれる。南海とダイエーの復刻ユニフォームを選手が着用する試合だ。
6月6日、甲子園の阪神戦、8月3・4日、京セラのオリックス戦、選手が68年までの黄金時代の南海ユニを着て登場した。小久保や松中・川ア、現在のスター選手や王監督まで緑のユニフォームに包まれている。
王監督が試合前『南海は強かったよ。34年の日本シリーズでは、杉浦さんに手も足も出なかった。カーブなんか、右打者が尻餅をつく球がストライクになる。それ位、大きく曲がった。』と思い出を語ってくれた。
スタンドには、カメラ片手のオールドファンが詰めかけた。20年ぶりに里帰りした息子達に会う様な一日になった。7回には『南海ホークスの歌』が流れ、歌いながら、涙を拭うファンの姿も見られた。
もし身売りがなかったら、このユニフォームを着た小久保や松中らを、大阪球場で毎日観られただろうに等と思いを巡らせながら、一日だけの夢の試合を楽しんだ。
着用最後の試合、決勝打を打った辻がヒーローインタビューで『こんなカッコいいユニフォームで野球ができ、幸せでした。』と泣かせるセリフを言ってくれた。
南海ファンは、その言葉を一生忘れないだろう……