八王子のヒマ鷹 (ID:OTg4M2J)
ホークス物語96

2007年、小久保裕紀が帰って来た。

04年、巨人に無償トレードされた小久保は、リハビリを続けながらキャンプから全力投球した。誰よりも早く準備し、シートノックでも一人、大声を出して頑張った。当時の巨人のシートノック中には、声を出す者さえ居なかったが、構わず声を張り上げた。

シーズンに入り、ライバル達を押しのけ第69代4番を務める事になった。右打者として史上最多の41本の本塁打を打ち、長嶋氏の記録を塗り替える。06年には、外様にも関わらずキャプテンに指名された。実績はもとより、他の選手や裏方に至るまでの人達への気配りの行動が堀内・原両監督に認められたのだ。

小久保自身も、自分は巨人で骨を埋めようと決意していた。

そんな中、王監督の胃癌によるチーム離脱のニュースが飛び込んできた。小久保の心が揺れた。人生の恩人である王監督、そして故郷ホークスが試練を迎えてるとき、何もできない自分にもどかしさを感じ始めていた。

この年、FAの権利を獲得する。

神宮での巨人・ヤクルト戦、ホークスファンが、小久保がソフトバンクのユニホームを着た大きな合成写真を抱えてる姿が、スタンドに見られた。『ファンも俺を待ってくれている』小久保は、FAを決意する。

07年、ホークスに復帰した小久保は、大好きだったお酒も絶ち、右足のサポート用具も外して決死の覚悟でチームを牽引した。09年に主将に任命。10年・11年連続優勝、11年の日本一に貢献することになる。

12年、2000本安打達成後、引退を決意した。真っ先に報告に上がったのは王会長の所だ。『今シーズン限りでユニフォームを脱がせて頂きます。』と言った後、言葉にならなかった。涙があふれた。悲しい涙でも、嬉しい涙でもない。感謝の涙だった。

王会長が、ハンカチをそっと出してくれた。会長は常に二枚のハンカチを持っておられる。一枚は自分の為、もう一枚は他の人の為…

『桃李成蹊』という言葉がある。桃や李(すもも)の下には自然と人が集まり道が出来る。徳のある人の元には、徳を慕って人々が自然に集まると言う意味だ。

小久保にとって王会長は、そんな方だったのだろう……
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