八王子のヒマ鷹 (ID:OTg4M2J)
ホークス物語91

2005年、『目指せ世界一』のスローガンの下、ソフトバンクホークス元年がスタートした。

『金は出しても口は出さぬ』オーナーは、王会長を球団副社長兼GMに就任させ、球団運営の多くの部分を任せた。補強資金も潤沢に用意した。

杉内が18勝で沢村賞。和巳は16勝1敗の驚異的勝率。松中は本塁打・打点の2冠。ズレータは打撃3部門2位。 チームは15連勝を含むシーズン89勝で、前年に比べプラス12勝。49年振りの好成績。『ストロングホークス』と呼ばれる圧倒的強さで1位通過した。

選手年俸も、松中は3億2千万から5億円に、和巳が1億5千万から2億5千万など、ダイエー時代抑えられていた年俸が、ほぼ全員、大幅に上げられた。オーナーが代われば、こんなにもチームは明るく、強くなるんだと実感した。

当時破格の15億円2年契約で、現役メジャー214本塁打のトニー・バチスタを呼んできた。投手に正対しままの極端なクラウチングスタイル。『昆虫打法』とアメリカで人気の選手だった。

バチスタは期待に応え、27本塁打90打点でチームに貢献し、特に天敵・松坂に強く、大事な場面で度々ホームランを打ってくれた。ヒーローインタビューでは、『神に祈ると神が打たせてくれた。全て神のお陰だ。』と繰り返し、ファンは『ミサが始まった』と喜んでいた。

デッドボールを受けると、投手に向かってダッシュしたと思えば、クルリと方向を変え一塁へ。内野ゴロを打ってアウトになっても、一塁を通り越しライトポール際まで走り、笑わせてくれた。

西武ドームで試合前、バチスタがレフトスタンドまで歩いて来た。何をするかと思えば、ゴミや塵を拾ってポケットに入れているではないか。危険なものが落ちてないか、自分の目で確認し、ついでにゴミ拾い。『トニー、サンキュー!』と拍手を送ると、拍手を送り返して来た。

貧しい国・ドミニカ出身、少年時代は大変な極貧生活だったという。何でも自分でする習慣があったのだろう。敬謙なクリスチャンで、年俸の大半を国に送金し、福祉に役立てていたそうだ。

『霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味』

若い頃苦労した彼は、メジャーになっても、尊敬できる人物になっていた……
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