八王子のヒマ鷹 (ID:OTg4M2J)
ホークス物語89

2004年は、松中にとって天国と地獄を味わった年になった。

7月15日、西武戦の対松坂、2回左中間に先制ホームラン。逆転を許した4回には右翼上段に逆転2ラン。3-3で迎えた9回には再びライトへサヨナラ本塁打。全て松坂自慢のストレートを打ったものだ。『平成の名勝負』と讃えられた二人のレジェンドの力対力の対決で、王監督も『今年の最優秀選手は、これで決まりだね。』と喜びの感想を述べている。

松中の勢いは止まらず、17日から6試合連続ホームラン(リーグ・タイ記録)を放つなど、結局この年は打率358、本塁打44、打点120、平成唯一の3冠王を獲得した。

しかし、物語はここから暗転する。

4.5ゲーム差をつけ、シーズンを1位通過したホークスは、プレーオフで2位ライオンズを迎え撃つ。プレーオフ制度は、前年のホークスが強すぎた為、他のチームにも優勝チャンスをとの配慮からパリーグが導入したものだ。

第一ステージで勝ち上がった西武に対し、待たされるホークスは実戦感覚が鈍り、そもそも不利な戦いであった。その上、三冠王の松中は徹底的にマークされた。伊東監督の指示で内角を執拗に攻められ、打撃の調子を崩してしまった。

19打数2安打。特に最終打席は、9回裏3-3同点二死二三塁。松中が打てばサヨナラ・優勝の場面で満員のスタンドから、テレビ観戦中の全国の鷹ファンから、渾身の声援が送られたが、あえなくセカンドゴロ、声援は大きなため息に変わった。

試合は10回西武が勝ち越し、ホークスは敗れ去った。敗北の責任を背負った松中は、白いバスタオルを頭から被り、ベンチから立ち上がることができない。泣き崩れていた。

他の選手が去った後も、城島が残り、松中の肩にそっと手を当てている。彼もかけるべき言葉が見つからなかった。

その場面は、全国にテレビ中継されていたが、貰い泣きされたファンも多かったと思う。私も、とても松中を責める気には成れなかった。

それどころか、彼と城島を、益々応援したくなった……
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⚾️好きな選手:牧原、周東、モイネロ、スチュワート
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