八王子のヒマ鷹 (ID:OTg4M2J)
ホークス物語87

2003年3月6日、小久保は本塁突入時、大怪我をした。

全治6か月の重傷だった。アリゾナでのリハビリに入った。これは試合中の事故。当初、治療費は球団が出す約束だったが、球団が方針変更し自己負担となった。

それ以前にも、小久保は選手会長として球団側に、施設の充実など要望していたが、受け入れられなかった。高塚社長の知人女性をベンチ内の勝利のハイタッチに参加させるなど、公私混同問題にも苦言を呈した。社長は『君のグッズの売れ行きは、城島君のよりも少ない』的外れな反論までしていた。両者の関係は崩れていった。

一方、球団経営についても一悶着あった。NPBには、外資を株主に出来ないと言う規制があるが、経営の苦しいダイエー本社がこれを破って、球団施設に外資導入を行った。オーナー会議議長の巨人・渡辺氏からクレームが入った。

そんな状況下、11月3日、4番打者小久保の巨人への無償トレードが発表された。そして、それ以降、オーナー会議はダイエーの外資導入問題を議題に上げる事は無くなる。

選手もファンもマスコミも大騒ぎになった。 『この無償トレードで、渡辺オーナーからのクレームがストップしたのは、巨人との密約があったのでは?』 『煙たい選手会長を追い出したかったのだろう。』 と球団に対する疑いを持って当然だ。

小久保の後任選手会長・松中は、選手会として優勝旅行をボイコット。主力選手も次々に球団への不信を語り、王監督も『これではチームが崩壊する』と球団に苦言を申し入れた。

11月6日、中内正オーナー(功氏の次男)が球場を訪れるも、誰も挨拶しないという異様な状況であった。

高塚社長は『小久保抜きに日本一になったのだから、彼は必要ないという事だ』と語り、事態は収束しないまま、小久保は巨人に去り、チームは2004年を迎える。

2003年オフは、日本一になったにも関わらず、選手たちが可哀相でならなかった。

とても悲しい冬となった……
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