ホークス物語72
84年、王さんは巨人軍監督に就任した。前年優勝したチームを預かりながら成績ふるわず、批判が相次いだ。88年オフ事実上解任される。原因はコミュニケーション不足にあった。 『名選手必ずしも名監督にあらず』長嶋さんもそうだったが王監督は、いつも怒っていた。『何故このくらいの事が出来ないんだ!』
選手も監督に対して意見が言えない。調子の悪い江川を先発から外す事もあるし、中畑をベンチに置くこともある。そんな時「次、頑張れよ」と声かけすることも必要だが、選手時代に下げられた経験などなかった彼は、そうした選手の気持ちが、なかなか分からない。そうすると、江川や中畑には不満が溜まって行くことになる。こうしてチームワークが崩れていった。
95年、ダイエー監督に就任後も、やはり同じことが起こった。前年、根本監督のもと4位ながら貯金9と健闘したチームは、新しい指揮官を迎え、結束が乱れて借金18と低迷した。
選手との関係を観察して来た根本球団社長が、ある日、全員を集めて次のような話をする。「お前達、何を身構えているんだ。この人は、今では世界の王と言われているが、昔はラーメン屋の息子だったんだ。お前達と何も変わりはしない。そう思ってやりなさい。」
王監督自身も、ある禅の高僧に相談した。『あなたは奥行きが広い人だけど、間口が狭い。もっと聞く耳を持ちなさい。』この言葉を聞きながら、王監督も「俺自身が変わらないといけない。」そう感じたという。
これを機に、自身が選手のレベルまで下りて行って会話した。 時間のある時は、コーチや選手を居酒屋に誘った。料理やパソコン等、野球以外の話もした。選手との距離が少しずつ、少しずつ、縮まっていく。
97年、西武戦21-0で大敗した夜、ある投手を二軍に落とした。しかし、二軍落ちを皆の前で発表した村田コーチを監督は叱った。『選手には家族もいれば、プライドもある。個別に呼んで伝えろ』。選手には『下でしっかり調整して来てくれ』と肩を叩いた。選手の心を思いやる監督に変わっていたのだ。
こうして世界一の打者は、監督としても、名将への道を歩み始めた。チーム成績は、当然の様に上向いていく事になる……