八王子のヒマ鷹 (ID:OTg4M2J)
ホークス物語70(ダイエー編)

99年の初優勝は尾花コーチのお蔭かもしれない。

野村時代の77年に防御率3.15を記録して以来、ホークス投手陣の防御率は21年間、4点台以上であった。しかも、殆どがリーグ最下位である。打線が7〜8点取っても、10点取られる様な試合ばかり見せられていた。

投手陣再建に頭を悩ませた王監督は、野村監督勇退でヤクルトの投手コーチを退任する尾花氏に声を掛けた。王監督じきじきに電話があり「まさか、王さんが直接自分のところに電話してくるはずがない。」と考えていた尾花氏。「もしもし、王ですが。」という言葉に「失礼ですが、そのような知り合いに心当たりがないのですが、どちらにお掛けですか?」と答え「福岡ダイエーホークスの監督を務めております王貞治と申します。」と聞き、腰を抜かしたという。

就任後、投手陣には徹底的に自信を持たせた。春のキャンプから、篠原・永井・星野ら2年生、若田部や藤井など中堅にも「君らの球の力なら、ど真ん中でも打ち損じるはずだ。コソコソとコーナーを狙うより、力一杯腕を振れ」と指導した。

99年の投手陣は、前年から明らかに変わった感じがした。スピードも5〜6キロ速くなり、何より打者を見下ろすような自信に満ちた顔でマウンドに上がっていた。結果、課題の防御率は3.46と、22年ぶりに3点台を達成しチームは初優勝へ邁進する。

9月11日その試合に負ければ首位陥落。コーチ会議で尾花は『今日は早い回でもバントし、1点ずつ積み重ねる野球をお願いします。』と発言した。それまでの強硬策を批判するような発言に、監督も怒りを表し口論となった。 結局、尾花案が採用され、ホークスはそれ以降、手堅く得点を重ねる作戦で初優勝を飾る。

日本シリーズも制した夜、尾花はホテルの監督室を訪ね辞表を提出した。『采配に口出しし、すみませんでした。』と謝罪したが、王監督は辞表をその場で破り捨てる。『何だい、これは?私は君にやって貰いたい。来年も頼んだ。』

『逆命利君』という言葉がある。上司の命に逆らっても、上司を利する行動をとるという意味だ。気骨ある投手コーチのおかげで、チームは栄光を掴み、またその気骨を理解し許した懐の深さが王監督にはあった。

ホークスは名投手コーチを得て黄金時代を迎える……
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⚾️好きな選手:牧原、周東、モイネロ、スチュワート
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