八王子のヒマ鷹 (ID:OTg4M2J)
ホークス物語69(ダイエー編)

96年アトランタ五輪決勝戦は物凄い試合だった。リナレス・キンデランといった伝説の選手を擁する世界最強の赤い軍団キューバに、アマだけで挑んだ全日本が善戦した。福留・井口・谷・今岡ら名選手がいる中、4番は松中だった。

6-2でリードされた5回表二死満塁、敵エースのスライダーを松中が左中間の2階席に叩き込んだ。同点満塁本塁打だ。そのシーンは世界中に中継され、多くの野球ファンが度肝を抜かれ、感動したはずだ。試合は結局敗れたが、無敵のキューバを追い詰めた殊勲の1発だった。

『こんな選手がホークスに来てくれたらなあ』と考えていたら、何と96年ドラフトでホークスを逆指名。井口と共に福岡に来てくれた。98年二軍本塁打王を獲得、期待され99年一軍デビュー。23本塁打で初優勝に貢献した。

今年のキャンプで山川のフリー打撃が人気だったが、20年前、小久保・松中のホームラン競争は、鷹キャンプの名物だった。二人が打撃練習し始めるとファンはスタンドに集まり、ホームランのたびに拍手が沸いていた。

長距離打者にしては三振が非常に少なく、首位打者を取った2006年には僅か37個で、100~150も三振するスラッガーが多い中、技術の高さを物語っている。

MVP2回、首位打者・本塁打王2回、打点王3回、2004年には平成唯一の三冠王。2006年WBC金メダルの4番打者でもある。通算本塁打352。生涯打率296。

松中は高校時代、左肩を痛め、右投げに転向したことがある。その後手術に成功し左投に戻したが、どんな状況になっても野球を諦めない執念の現れだろう。2006年の首位打者は、実は左臀部の腫瘍(その後ガス壊疽と判明)の摘出の大手術を受けた上での活躍だった。決して順風満帆な野球人生ではなかったが、闘志で克服し、輝かしい実績を残した。

晩年、起用法への不満から2013年の交流戦優勝セレモニーをボイコット。二軍落ちした事を切っ掛けに、フロント・首脳陣となかなか上手くやっていけず、2015年を最後に現役引退している。

卓越した打撃理論は、解説でも唸らせるものがあるが、球団とのしこりが残っているのか、現場復帰できていない。

これだけの野球人を浪人にしておくのは、勿体ない気がしてならない……
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