ホークス物語63(ダイエー編)
福岡移転後、一番人気の選手はカズ山本であった。
理由の一つは、彼の優しさである。試合終了後、出待ちのファン全てにサインした。例え何時間掛かろうとファンを置いて帰ることは一切なかった。ファンレターには全て返事を書いた。
試合前のスタメン発表、一番大きな拍手が起こったのは彼の時だった。今でこそ『2番打者最強説』があるが、珍しいバントをしない2番打者として活躍。94年は打率317でイチローに次ぐ2位。契約更改で年俸2億円に達した。
当時は先輩の荷物は後輩が持つ習慣があったが、彼は一切持たせたことがない。『自分の時間を大切にしろ』と後輩を思いやる選手だった。
脳腫瘍で入院中の広島津田を、森脇と共に何度も御見舞に行っている。その度に『必ず復活してオールスターで対戦しよう』と励ました。
小久保の引退発表の日、わざわざ北九州に駆け付け、目に涙を浮かべながら『お疲れさん。よく頑張ったな。』と声をかけてくれた。
『バッティングセンターで育ったプロ野球選手』として業界団体からイチローと共に表彰される事になったが、『逆に僕の方が感謝している』と辞退。団体側のプレゼンターとして、イチローを表彰している。
近鉄移籍後の99年9月30日、その年初めて一軍に上がった。ドームでの最終戦。ダイエーファンからの『山本コール』の大合唱と応援歌で迎えられ、最終打席で同年無敗、被本塁打ゼロの篠原貴行から決勝ホームランを放つ。ファン思いの名選手にファンは感謝の気持ちを表し『これ以上の感動はもう無いだろう』と引退を決意した。
カズ山本は、重要な試合で、必ずホームランという最高の結果を残している。
・86年オールスター初出場でホームラン・MVP
・93年福岡ドームチーム第1号
・96年近鉄移籍開幕西武戦で代打ホームラン
・96年福岡ドームオールスターで代打ホームラン
・99年最終打席ホームラン
これらは、難聴というハンデを乗り越え、人並み外れた努力でのし上がった苦労人。ファンや後輩への愛情豊かだった野球人に対する、神様からのプレゼントだったかもしれない……