八王子のヒマ鷹 (ID:MzY2OTd)
ホークス物語61(ダイエー編)

平和台ほど球団の栄枯盛衰を見てきた球場はないかもしれない。三原時代の三連覇。その後の黒い霧事件。太平洋時代のロッテとの遺恨試合には、機動隊まで出動した。末期には観客数が60人という試合もあった。10年の空白を置きホークスが来福。再び西鉄黄金時代の活況が戻ってきた。

博多の熱狂ぶりを表すエピソードとして、当時の同球場には救急車が毎試合の様に呼ばれたそうだ。外野の応援席近くで、女性ファンの貧血や鼻血。男性ファンの急性アル中。それほど、ファンは久しぶりのプロ野球に興奮していた。

92年10月1日、平和台最後の日は忘れられない試合になった。試合は球界のエース・野茂英雄と、鷹のルーキー・若田部健一の投げ合いで8回まで0-0の投手戦。若田部が一つ三振を取る度に「よっしゃー!」大歓声が起こり、球場が揺れた。

8回裏、広永益隆がついに野茂の速球をとらえる。打球がライトスタンド方向へ伸びると「行け!」「行け!」観客の大歓声が後押し。ボールはスタンドに飛び込み、超満員の観客席は喜びを爆発させた。若田部、渾身の投球は続き、ついに1-0でホークスは最終戦を飾った。スタンドのウェーブは球場を5周もした。この試合を最後に、ホークスは本拠地を福岡ドームに移していく。

「西鉄時代から通ってる」という老夫婦は、平和台での数々の思い出を噛みしめながら、最後のセレモニーを見たと言う。「戦後、貧しかったけど元気一杯だった『昭和』という時代が、消えていくような寂しさを感じます。」と、目を赤くされていた。同じ思いの方も多かっただろう。

試合が終わっても、何人ものファンがなかなか帰ろうとしない。様々な思い出の詰まった球場との別れを惜しんでいるようだった……
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