八王子のヒマ鷹 (ID:MzY2OTd)
ホークス物語60(ダイエー編)

ホークスの福岡応援団が今でも使っているチャンステーマに『若井ダンス』がある。ミッキーマウス行進曲を編曲した曲と、若井基安の出身校PL学園の応援歌を組み合わせたものだ。

彼はPL学園、法政大学、日本石油で優勝経験を持つ野球エリートとして、88年入団してきた。同年のオープン戦で大活躍。新人大賞を獲得した。ところが開幕後、送球イップスにかかる。三塁からの暴投を連発したのだ。ついに守備につけなくなった。練習では問題ないのに、試合になると投げられない。重症だった。

『チャンスに強いガッツマン、我らの若井』の応援歌が 『PLなのに守備が駄目、我らの若井』と替え歌にされた。 野球エリートとして花道を歩いて来た若井は悩みに悩む。そして、一つの結論に達した。『もう自分にはバットしかない。』

指名打者・代打として生きる道を選び、打撃を徹底的に磨いた。その後、代打の切り札としてのポジションを得て大活躍する。成功率は3割を超えた。『ピンチヒッター若井』がコールされると、平和台球場は沸きに沸いたのを覚えている。

劣勢のチームを何度も救った彼のバットの記憶が、ファンにしっかり定着し、引退後も彼の応援歌で後輩たちを盛り上げようというのがヒッティングマーチが残った背景である。この曲に合わせ席を右に左に移動する若井ダンスも記憶されてる方もおられるだろう。

引退後はスカウトに転身した。2009年のドラフト会議。彼は柳田悠岐を強く推薦し、ホークスは2位で獲得する。確率は悪いが一番飛距離の出る打者として当初から追いかけていた選手だ。他のスカウトが秋山祥吾を推すなか、王会長の援護射撃もあり指名が決定した。

送球イップスという野球人としては致命的欠陥を抱えながら、代打の切り札として活躍した自らの体験から『一芸に秀でる選手』のロマンを感じたのだろう。そのスカウト哲学は、育成選手制度にも生きる事になる。

彼の経験が無ければ、球界の歴史に残る大打者柳田や、千賀・甲斐は誕生していなかったかもしれない……
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