ホークス物語58(ダイエー編)
平和台移転後、ホークスは南海時代どうしても超えられなかった観客動員百万人の目標をあっさり更新、初年度125万人を集めた。明治通りからも見えるナイターのカクテル光線に誘われ、多くの博多っ子が球場に足を運んだ。「球団のある喜びをかみしめるような温かい応援だった。」と杉浦監督は振り返っている。
ある日のロッテ戦、9回裏2死走者2塁、代打にドカベン香川が出てきた。人気者の登場に場内は沸く。期待に応え、香川はライトへタイムリーヒットを放った。ところが体重130キロの巨体を揺すって走るが、1塁がなかなか遠い。
「ライトゴロにだけはならんでくれ!」
「速う走らんか!」
「アウトになったら、許さんばい!」
「転がれ!!!」
野次で大騒ぎとなる中、ライトからの送球が来た。間一髪セーフ。場内は笑いと歓声に包まれた。野次が本人にも届いたようで、香川も苦笑い。スタンドと選手の距離が非常に近い球場だった。
平和台の右中間スタンド後方に大きな木が何本か生えていた。満員札止めになるとファンはその木によじ登り、鈴なりになって試合を観戦した。場内アナウンスも、このタダ見の観客を排除せず「場外から御覧になっているファンの皆様、どうぞ足元にお気をつけて、お怪我の無いようにご覧くださいませ。」ファンへの愛情あふれる牧歌的球場でもあった。
初年度成績は4位だったが、新天地に慣れた8月以降は28勝19敗。首位戦線を掻き回した。バナザード・アップショー・佐々木・山本がチャンスで長打を放ち、岸川はサヨナラ本塁打3本(日本記録)打って『閉店間際のダイエー打線』とファンを沸かせた。
野球熱の強い博多っ子の応援が、選手を奮い立たせたのだろう……