八王子のヒマ鷹 (ID:MzY2OTd)
ホークス物語57(ダイエー編)

球団経営を軌道に乗せるには地元の企業支援が欠かせない。スポンサーや年間指定席購入など、地元財界に受け入れられないと経営は破綻してしまう。

当初、福岡の経済界は冷ややかであった。出自がライオンズのライバル・ホークスであった事。ダイエー本社自体の九州地区進出に警戒感もあった。新球団発足パーティーも九電やJR九州など七社会メンバーは欠席し大失敗。ダイエー本社は頭を抱える。

そこで「私が挨拶回りをしましょう。」と腰を上げたのが杉浦監督である。試合のある日も、午前中は背広に着替えて、手土産片手に有力企業の社長訪問を行った。地元はそれでも冷たかった。受付嬢にあしらわれる様な企業が多かったという。社長の中にはワザワザ出てきて「南海の杉浦さんやろう。応援できるわけなかろうが。」などと言われる事もあった。

途方に暮れていた時、福岡銀行の杉浦博夫専務が監督を歓迎してくれた。「昔の稲尾さんとの投手戦、懐かしいですなあ。あの杉浦さんが来てくれたんなら協力せん訳にいかんでしょう。同じ名前でもある。杉浦会でも作って財界を盛り上げますか。」

地獄に仏とは、このことであろう。杉浦専務は、有力企業のトップを一人一人、説得していってくれた。難航不落だった七社会の某企業の会長も説き伏せた。

専務「前の嫁さんに逃げられた博多に新しい嫁が来てくれたんやけん、応援してくださいよ。」
会長「新しい嫁言うても器量が悪かろう。弱いし、スターもおらん。」
専務「会長、どんな嫁でも今度逃げられたら、もう二度と来てくれんですよ。そうなったら博多は終わりたい。」
会長「。。。。」

こうして少しづつ、支援の輪が広がっていった。チームは低迷を続けたが、平和台球場はライオンズ時代に失った客足を徐々に回復していった。杉浦会の話題は、チームの成績よりも観客動員についての事が殆どだったという。御二人とも、ホークスが地元に馴染んでいくよう、本当に心を砕いておられたのだろう。

監督は2001年、専務は2006年に亡くなられたが、人気球団になったホークスを御覧になり、さぞや喜ばれた事だろう。

先人達が、苦労に苦労を重ねて、築き上げてきたホークス人気。もう決して失ってはいけないと思う……
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⚾️好きな選手:牧原、周東、モイネロ、スチュワート
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