南海ホークス物語53
昭和30代の名勝負と言えば長嶋・村山、野村・稲尾。40年代は王・江夏。50年代は門田・山田。平成は松中・松坂だろう。
門田が生涯で一番多くのホームランを打ったのが山田で、山田が一番多くの三振を奪ったのは門田であった。対戦では決め球シンカーは投げた事がなく、すべて直球勝負した。「門さんをストレートだけで三振に取れるかどうかが、僕の投手としての生命線。」と山田は語り、門田も全球ホームラン狙いのフルスイングで応えた。
客の少ない大阪球場や西宮で繰り広げられた二人の勝負は、まるで「侍同士の果たし合い」の様に殺気に満ちており、観る者の心を釘付けにした。
昭和63年5月、西宮球場で対戦した二人。山田自慢の内角のホップする様な直球を、門田はフルウイング。
打球はライトスタンドに消えていった。いつもの山田なら砂を蹴り上げて悔しがる所だが、その日は何故か元気なく門田に向かって微笑んだ様に見えた。
試合が終わって帰宅後、山田の家に、なんと門田から電話がかかってきた。阪急の球団関係者に電話番号を聞いたのだという。「もしもし、門田やけど。あんた、辞めるんやないやろな。まだまだ、辞めたらあかんで。」
実は、その一球で山田の頭の中に「引退」の文字が浮かんでいたのだ。「門さんには、投げそこないは間違いなくスタンドまで持っていかれた。だが、指にかかった100%のストレートは、必ず空振りを取れていた。その日は、その完ぺきな真っ直ぐをホームランされた。自分の力の衰えを感じた一球だった。それに気づいたとは、流石やね。」
その秋、284勝というアンダースロー投手最高の実績を残し山田は引退していく。渾身の速球とフルスイングで、ギリギリの勝負を繰り返してきた二人にしか分からない世界があったのだろう。
「昭和63年は、凄く寂しい年になった。球団の身売りと、久志の引退。」門田が後に語っている。
こんな素敵な好敵手、今の選手にも作って欲しいと思う……