八王子のヒマ鷹 (ID:MzY2OTd)
南海ホークス物語52

昭和62年の南海は、珍しく8月まで優勝争いした。両山内・藤本・西川・加藤の先発陣が奮闘し、打線も門田・加藤秀司・佐々木・山本・湯上谷・河埜・香川・デビット・ハモンドらが援護し、盆明けには西武と並ぶ所まで粘った。

普段の年なら、秋口には首位と40ゲームは離されていたが、1〜2ゲーム差。ファンも久しぶりに盛り上がり、大阪球場も観客動員記録を更新した。 残念ながら、最後は息切れして失速したが、チーム力は確実に上向いていた。

シーズオフ、高齢の川勝オーナーが、「死ぬ前にもう一度だけ、優勝を見たい」と、貧乏球団・南海としては破格の1億円を出して、現役バリバリの大リーガーを連れてきた。トニー・バナザードである。今まで見たことがないメジャーの華麗な守備と、力強い打撃で、我々ファンは魅了された。

63年には、28試合連続安打の外国人記録を樹立する等、打率315の活躍、翌年も34ホーマーでチームを牽引した。試合前のキャッチボールでは、後にイチローがやっていた背面キャッチや、手品のような事をして観客を喜ばせてくれたりした。

「暴れん坊」のイメージが強く、3度の退場処分を食らっているが、実は、自分の為に暴れた事は一度もない。同僚のジョージ・ライトや、アップショーが危険球を投げられたときに、乱闘に加わったものだ。「俺は仲間を狙う奴は許さない」と試合後よく語っていた。

田淵監督時代、監督が結果論で選手を叱ることが良くあった。工藤攻略の為、竹ノ内コーチが「三振しても良いからカーブだけを狙っていけ」と打線に指示していた試合、指示通り直球を見逃し三振した岸川やアップショーを、試合後のミーティングで田淵監督が名指しで批判したことがある。

ミーティングの後、バナザードは通訳を伴って監督室を訪れ「コーチともっとコミュニケーションを取れ!」と怒りをぶちまけた。怒った監督は、後にバナザードとアップショーを解雇してしまった。田淵時代はこうして大事な選手を次から次に潰していった。

一方、バナザードは、引退後、代理人として活躍。その後メジャーリーグ選手会の専務理事補佐や、メッツのGM補佐も務め活躍する。

仲間想いの人は、何をしても成功するということなのだろう……
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⚾️好きな選手:牧原、周東、モイネロ、スチュワート
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