南海ホークス物語㊽
門田博光は孤高の人である。人と群れることが大嫌いだ。試合前は誰とも話さない。マスコミやファン・チームメイトが話しかけても、返事が返ってこない。ロッカーが隣のカズ山本が、「門さん、おはようございます!」と挨拶しても、いつも無視されていたという。
「試合前は、気持ちを高めている時間帯。誰かと会話すると、折角の集中力が、どこかへ飛んで行ってしまう。」人と話さない理由を、門田は後にこう説明していた。
昭和60年5月の近鉄戦、カズ山本は大記録を達成しようとしていた。日本初の「サイクル・ホームラン」である。この日、2ラン・満塁・ソロと3本の本塁打を放っていた山本は、あと3ランが出ると偉業達成である。
8回裏ランナー1塁。4番門田に打席が回ってきた。門田が出塁すると、次打者山本の3ランの可能性が出てくる。門田が山本に声をかけた「必ず出塁するから、ホームラン打てよ!」
「門さんが僕に話しかけてくれたのは、その時が初めてじゃないかな。本当に感激した。」山本は語っている。門田は粘ったが、なかなか打てる球が来ない。最後、外角低めの球をひっかけ、ボテボテの三塁ゴロとなった。
「万事休す」と思った次の瞬間、山本は驚きの光景を目にする。アキレス腱を切り、全力疾走が出来ない門田が、鬼の形相で一塁に向かって走っているではないか「門さん、また怪我する!もうやめてくれ!」山本はそう思ったという。
最後は転ぶようにしてヘッドスライディング!残念ながら、アウト。山本のサイクル本塁打は成らなかったが、ベンチは総立ちで、門田を拍手して迎えた。
「それまで、門田はチーム内で少し浮いている存在でもあった。誰ともツルまない修験者のような存在だった。しかし、あの日以来、真のチームリーダーになったと思う。みんなが『この人について行こう』そう思った瞬間だった。」穴吹監督の言葉である。
人の何倍も練習し、結果を残していた職人肌の大打者は、こうしてチームリーダーになっていった。
翌日、前日の全力疾走のお礼を述べようと、山本は門田に声をかけた「門さん、おはようございます!昨日はありがとうございました!」
やはり、返事は返って来なかったそうである……(笑)