八王子のヒマ鷹 (ID:MzY2OTd)
南海ホークス物語㊹

カズ山本ほど何度も挫折を味わった選手は少ない。生まれつき難聴があり言葉が不自由で、戸畑商時代、野球部の先輩にいじめにあう。ある時、右耳を強く殴られ鼓膜が破れて殆ど聞こえなくなった。その為、高校を1年留年している。

その後、努力で昭和51年ドラフト5位で近鉄に入団するが、芽が出ず6年後戦力外。故郷の北九州へ帰ることを決意するが、同期の久保投手(後のホークス投手コーチ)に勧められ、大阪池田のバッティングセンターで住込みのアルバイトをしながら練習。チャンスを待った。

2年後、南海・穴吹監督の目に留まりホークスに入団、過労で倒れ入院するほどの猛練習で、昭和58年、ようやくレギュラーを取る。 自慢の強肩で1試合3刺殺の日本記録を達成、ゴールデングラブ賞を獲得。昭和60年には恩人の久保から2ラン、そのあとの打席で満塁・ソロホームランを放ち、1試合7打点を記録するなど活躍した。

平成7年、右肩を脱臼し戦線離脱。そのまま2度目の戦力外となった。ここでも、山本はあきらめず翌年近鉄のテストを受け再復活、同年のオールスターに初めてファン投票で選出された。

実は、この時の投票は、その多くが九州地区からのものだったという。何度も、何度も挫折を経験しながら復活してきた山本・・・チームを去ったにも関わらず、「福岡で開催されるこの年の球宴に、もう一度出してあげたい」と、ホークス応援団を中心に投票が呼びかけられた。ファンからの最後のプレゼントであった。

福岡ドームでのオールスター戦、決勝ホームランを放ちMVPを獲得。お立台の山本は、自分を選出してくれた九州のファンの大歓声で感極まる。

数秒の沈黙の後、「まぐれです・・・」と絞り出すように話すのがやっとであった。このシーンを観た女優の野際陽子が、こんな話をしていた。「人は、泣いている人を見ても感動しないが、涙をこらえている人を見ると、感動するものだ。」

お立ち台で何も話せず、言葉につまっているこの苦労人の姿を見て、涙を流された方も多かっただろう……
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⚾️好きな選手:牧原、周東、モイネロ、スチュワート
就活編集削除⚽Jリーグの日🕑

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