南海ホークス物語38
これは結構有名な話なので、ご存じの方も多いと思うが、江夏が南海に来た頃、彼の肩肘の故障と血行障害で、50球が限界。先発としてやって行けない状況だった。
野村監督は、本人と何度も話し合い「リリーフをやれ」と説得するが、江夏が了承しない。「先発は一流、リリーフは二流」の考えが根底にあり、「これ以上、恥をかきたくない。先発が駄目なら引退する。」と言うのだ。
ノムさんも粘り強く何度も転向を承諾させようと試みるが、どうしても首を縦に振らない。 ある時ふと、こんな話をした。 「確かに、今はリリーフの地位が低い。しかし、お前が転向する事で、野球界に革命を起こしてみろ。」
この「革命」と言う言葉に、江夏が反応した… 江夏「革命か……」 野村「そうや。革命や。お前が革命を起こしてみい!」 江夏「わかった。やってみる。」
こうして、日本を代表するリリーフ・エースが誕生した。……翌年、自身初のセーブ王、広島移籍後はチームを優勝に導いて、リリーフとして史上初めてMVPを獲得。数年前のサファテMVPの原点は、昭和54年の江夏にあったとも言える。文字通り、野球界に革命を起こす事になったのだ。
言葉の力と言うものは、本当に偉大だなと思う……