山川、ドスコイを50回は見たい! (ID:MzY2OTd)
南海ホークス物語36

江夏豊は、阪神入団以来、最多勝2回・最優秀防御率1回・沢村賞1回、昭和43 年には奪三振世界記録の401、オールスターで9連続三振。ノムさんは、「私の見てきた投手の中で、一番速い投手は、金田と江夏。頭の一番良い投手も、やっぱり江夏」と語っている。

その江夏が昭和50年、肩肘を痛め低迷、阪神は放出の方針を決定した。吉田監督からの「江夏、要りまへんか?」とオファーを受けた野村監督は、球団側から「営業面の効果が大きいので、是非取りたい」との意向を受け、江本・島野らとの交換トレードを承諾する。

昭和51年1月、阪神は移籍を発表したが、突然の通告に江夏がへそを曲げた。「阪神は俺の青春。もし必要ないと言われるなら、引退する。」 球団や吉田監督に不信感を持ち、肉体的にも、もう今までの速球は投げられない。引退会見を考えていたその時、野村監督から「ちょっと会いたい。。」と電話があった。

ホテルで食事をした二人。野村監督は「南海に来てくれ」とか「俺と一緒に野球をしよう」等とは一言も言わなかったと言う。

前年優勝の広島との最終戦、2死満塁で衣笠を迎えた場面、江夏はボール球を振らせ、三振でピンチを脱した。偶然テレビで見ていた野村監督、その話から切り出した。「あの衣笠の最後の球、満塁でツースリーだったが、あそこはワザとボール球を投げたんだろう?」

それまで、緊張で強張ってた江夏の表情が一気に笑顔に変わる。「この人は、野球を物凄く深く考えている人だ。この人と、もう一度野球をやってみたい。」江夏はそう思ったという。

移籍を承諾した江夏。その後2年間の間でリリーフ・エースに変身し、抜群の制球力と投球術で、日本における「ストッパー」の地位確立に貢献することになる。

野村監督の1本の電話がなければ、後の広島や日ハムで活躍した「優勝請負人・江夏」は誕生していなかった。

野球人の心は、やっぱり野球人にしか解らない……
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⚾️好きな選手:牧原。今日から山川
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