山川、ドスコイを50回は見たい! (ID:MzY2OTd)
南海ホークス物語35

昭和47年キャンプ、新人片平晋作を見て関係者はとても驚いたという。打撃フォームが王選手とソックリだったからだ。解説者には「猿真似は良くない。」と批判されたが、沼沢打撃コーチは、「そのままでええぞ。何でも中途半端はあかん。真似るんなら徹底的にやれ」とアドバイスしたという。

それから、片平の「王コピー」が始まった。打撃スタイルは勿論、打席でのルーティン、歩き方、アンダーシャツの夏冬切り替え時期まで合わせた。スタンドからは「お前は野球辞めて、吉本で物真似芸人になれ!」とヤジられながらも、頑固に王選手の後を追いかけた。

王選手が、現役を引退するまであまり口にしなかった「企業秘密」があるという。「一本足打法の神髄は、バットを日本刀に見立てて、球の下半分を切り裂き、その切り口に体全体を滑り込ませる感覚。そうすると、打球にスピンが掛かり、二段ロケットの様に飛距離が伸びる。これが、ホームランの秘訣です。」引退後、初めて語った独自の技術である。

実は、片平は入団5年目ごろ、王さんの物真似を続ける中で、この「ボールの下半分に体を沈み込ませ、打球にスピンをかけること」が、王打法の神髄だと気付いたという。24時間、世界一の打者の真似を続けた事で、こうした「門外不出」の技術にまでたどり着いてしまったのだろう。

そのころから、確かに片平の打球は飛距離が伸び、勝負強い打撃で、5番打者としてチームを牽引、西武移籍後は57年・58年の連覇に大貢献した。広岡監督が、「57年の初優勝は、田淵でも東尾でもなく、片平のお蔭」と評価していた。

引退後、コーチとしても「王監督の様に『厳しく、優しく』指導したかった。」と若手を育成した。解説者になってからは、失敗した選手も決して批判しない解説。「これも王スタイル」

最初から最後まで、王さんの背中を追い続けた野球人生だった。5年前、50代で膵臓癌で死去。

師匠より、早く逝ってしまうのは、おかしいではないか……(涙)
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⚾️好きな選手:牧原。今日から山川
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