山川、ドスコイを50回は見たい! (ID:MzY2OTd)
南海ホークス物語34

昔、青田昇という野球評論家がいた。本音ズバズバの「じゃじゃ馬解説」として人気の解説者であった。昭和46年の南海キャンプ、キャンプ地を訪れた青田に、野村監督が前年ドラフトの新人を紹介した。1位の選抜優勝投手・島本や6位の黒田などが挨拶し、「期待してるぞ」「頑張れよ」等と、青田が声をかける。

最後、八代東高出身のドラフト8位の柏原純一であった。柏原が「頑張りますので、よろしくお願いします。」と挨拶すると、「お前は、酷いガニ股やな。ガニ股の選手に大成したやつはおらんのや。早めに諦めて、田舎に帰った方がええぞ。」と、入ったばかりの新人に、残酷な事を言う。

横で聞いていた野村監督、「これから頑張ろうという若者に、何というデリカシーの無さだろう。」とハラワタが煮えくり返る程の怒りを覚えたという。

その日の練習終了後、ノムさんが柏原を監督室に呼んだ。「俺は17年前、ブルペン捕手として南海に入った。誰にも期待されず、毎日毎日、投手の球を捕る事だけが仕事だった。練習が終わって、死ぬほどバットを振り、今日を築いたんだ。お前も、今日の悔しさを決して忘れるな。死ぬほどバットを振ってレギュラーをつかみ、青田さんを見返してみろ!」。

聞いているうちに、柏原は涙をこぼした。そして何より、闘志が溢れていた。 5年後、柏原は見事にレギュラーを獲得、ホームラン16本、打点55、打率260の立派な成績を収め、その後、日ハム・阪神でも大活躍した。

2軍の穴吹監督は、「あれ程、練習する選手は久しぶりに見た。寮の柏原の部屋は、いつも夜中まで電気がついていた。バットを振り込んでいたのだろう。青田さんに言われた言葉を、忘れなかったからだと思う。」と語っている。

こうして、「ガニ股は使い物にならない。」とらく印を押された熊本出身の若者は、生涯1642試合に出場、232本塁打、打率268の名打者に成長した。これは、青田氏の生涯成績に匹敵する数字である。

人は、心の中の怒りを決して忘れてはならないと思う……
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⚾️好きな選手:牧原。今日から山川
就活編集削除⚽水戸vs清水🕑

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