山川、ドスコイを50回は見たい! (ID:MzY2OTd)
南海ホークス物語㉛

「死んだふり優勝」と野村監督が表現した昭和48年、前期優勝のあと、後期南海は、王者阪急に一度も勝てなかった。0勝12敗1分けだった。

決して、わざと手を抜いたわけではなく、全力で向ったが、ちょっと流れが変わると全く歯が立たないほど、当時の阪急は強かった。 米田・梶本・山田・足立の投手陣に、福本・加藤・長池・森本の攻撃陣も盤石で、南海ナインの中にも「やっぱり阪急は強い。前期優勝は、たまたま運が良かっただけ・・・」と、あきらめムードが出始めていた。

そんな中、野村監督だけは、「今は、死んだふりをしているだけ。。。この間に、阪急対策はバッチリ準備させてもらった。。。プレーオフは、うちが勝つと思う。。。」と強気の姿勢を変えなかった。

前期、南海投手陣のクイックモーションで、世界の盗塁王・福本の足を封じたが、敵もさるもの・・・後期はそれを上回るスタートで、盗塁を成功させていた。。。そこで、野村は、もう一段速いクイック・・・『すり足クイック』を各投手にマスターさせ、プレーオフでは、再度、福本の盗塁を封じた。

後期復活した阪急米田のフォークを打つため、左手一本で拾い外野の手前に落とす「ポテンヒット打法」も練習させた。。。これは、第一戦の相羽の決勝タイムリーにつながることになる。

そして、何より大切な「心理的に上回る」為、初戦に全てをかけた。。。佐藤・江本の2本柱を初戦に投入し、全力で初戦を取りに行った。。。。結果、4−2で勝利し、「監督が言うように、本当に勝てるかも・・・」と選手たちの間に、自信めいたものが生まれてきた。

野村は後に、「これが一番大きかった・・・」と話している。 「死んだふり」など、本当にした訳ではないが、そう表現することで、ナインの中に消えかけていた希望の光を再点灯させたのである。

希望があれば、強いチームも倒せる……
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