山川、ドスコイを50回は見たい! (ID:MzY2OTd)
南海ホークス物語㉕

数年前、NHK土曜ドラマで放送された「フルスイング」をご覧になっただろうか。物語は、30年間にプロ野球7球団で打撃コーチを務めた故高畠導宏氏の生涯についてだ。

南海・藤原、柏原、ロッテ・落合、西村、水上、中日・山崎武、ヤクルト・飯田、ダイエー・吉永、小久保、浜名、オリックス・田口・・・彼らが「打撃の師匠」と呼ぶ「伝説の打撃コーチ」である。

高畠は昭和43年に、社会人NO1スラッガーとして南海に入団、野村の後継者と期待されたが、キャンプで利き腕の左肩を怪我し、代打要員となった。野村監督の決断で昭和48年から打撃コーチに就任、投手の癖を見破る技術と、卓越した打撃理論・アイデアで、プロ野球に一時代を築いた。

弟子達に共通するのが、「ボールの内側を叩く」打法、最短距離でボールにコンタクトするため、ミート率が格段に上がった。また落合・山崎・小久保等長距離砲には、ボールの下半分にバットを「滑り込ませ」、スピンをかけて飛距離を伸ばした。逆に、藤原・西村・飯田等小兵には、握りが太く重いタイカップ型のバットで、ボールにぶつけるパンチショット打法をマスターさせた。

彼らが獲得したタイトルは延べ30にも及ぶ、文字通り「日本一の打撃コーチ」だった。 58歳で一念発起、筑紫台高校の教員になり、甲子園を目指すも、志半ばで膵臓がんで亡くなった。60歳の若さであった。

癌の再発で、教え子に別れを告げる最後の授業、彼は教室にバットを持ち込んだ。「9回裏2死走者なし、もう勝ち目がない・・・・そんな中で大切なのは『気力』だ‥‥どんな逆境にもあきらめず最後まで食らいついていく『気力』・・・・お前たちのこれからの人生、様々な辛いことが待っているだろう・・・・「もうだめだ」と思う場面があるかもしれない・・・そんな時、この『気力』という言葉を思い出してほしい・・・」

痛む体にムチ打ち、持ち込んだバットで、フルスイングを繰り返しながら、生徒に最後の授業を行った・・・・1週間後、高畠は東京の病院で息をひきとる。

落合や小久保が、高畠から学んだものは、本当は技術ではなく、あきらめない心だったのかもしれない……
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