山川、ドスコイを50回は見たい! (ID:Yzg4ZDV)
南海ホークス物語R

私には、毎年2月1日になると、思い出すシーンがある。

昭和46年2月1日、南海ホークスのキャンプをスタートさせた中百舌鳥球場には、珍しくファンが多く集まった。お目当ては、選抜優勝投手でドラフト1位・島本講平である。

前年の太田幸司に続いての「こうちゃんブーム」で、近所の小学生もサインを求めて、数多く来ていた。 小学6年生だった私も少し遅れて来たが、サイン色紙を手に、島本の前の列の最後尾に並んだ。列が少しずつ進み、次は私の番だという所まで来たとき、外野で集合がかかった。

島本は少し迷った様な顔を見せたが『君、ごめんね…』といい、集合場所の外野に走って行ってしまた。私は、一人だけサインを貰えず、残されてしまったのだ。

その時である。何と監督のノムさんが、ノシノシと通りかかった・・・『何や・・・あと一人くらい、やってくれらええのになあ・・・おい君、こんなおっちゃんのサインで良かったら、書いてあげるから色紙、持っておいで・・・』私は、何と、野村監督のサインを貰うことになる。

その日以来、ノムさんは私の神様になった。 彼の人生はその後、波乱万丈。今でこそ、『野球の第一人者』との評価を世間から受けているが、生前は敵も多く、嫉妬や憎悪の的になったことも事実である。

しかし、世間から叩かれようが、サッチー問題で南海・阪神の監督を解任されようが、鶴岡監督と喧嘩し、南海ファンから批判されようが、私には全く関係ない。

ノムさんのコメントを新聞で探し、テレビやラジオ番組を追いかけ、著書は全て目を通した。 私の人生哲学は、ほぼノムさんからの影響で出来ている。仕事で悩んだとき、行く方向が決まらなく迷ったとき、物事が嫌になったとき、私を救ってくれたのは、いつも野村語録だった『失敗と書いて成長と読む』『迷ったら厳しい方の道を選べ』『努力は誰かが見てくれている』・・・

たった一人の野球人が、一人の人間の人生を変えてしまうこともある。

今年の2月1日も、53年前の中百舌鳥球場での神様の温かい笑顔を思い、手を合わせたいと思う……
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⚾️好きな選手:牧原。今日から山川も
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