山川、ドスコイを50回は見たい! (ID:Yzg4ZDV)
南海ホークス物語Q

昭和42年、メジャー・オールスター級の二塁手、ドン・ブレイザーが南海にやってきた。「この小さな体で、どの様にして厳しい生存競争を勝ち抜いて来たんだろう……」興味を持った野村は、彼を度々夕食に誘いだしたと言う。

ブレイザー「例えば、君が打席に立ちヒットエンドランのサインが出たとする……その場合、何を意識する?」 野村「そのケースでは、フライを打ち上げず、ゴロを打つようにする……」 ブレイザー「それだけでは駄目だ。……走者が二塁に走った時、遊撃手がセカンドに入るか、二塁手が入るか、チームは決めているはずだ……入った方を狙い打つとヒットの確率は上がる……」

今では当たり前のセオリーも、当時の日本の野球では考えている者は居なかった……

またある時、こんな事を聞かれた。「一死満塁、君は投手にどのベースに牽制させる?」 野村「ん……普通、三塁だな……三塁偽投で一塁と言う手もある。」 ブレイザー「それも違う。3人の走者のうち、一番リードを取りたいと考えているのは、二塁走者だ。ワンヒットで本塁に突入したいからだ。そこに隙が生まれる。二塁牽制が一番アウトの可能性が高い。」

唸るほか無かった……世の中にはこれ程野球と言うものを深く考えている人間がいたんだ……

昭和44年暮、川勝オーナーは35歳の野村克也を監督に指名する……前年勇退した鶴岡監督のあとを引き継いだ飯田監督だったが、主力の怪我も相まって、チームは球団創設以来初の最下位に沈む……「このチームを立て直すのは、君しかいない。」……オーナーに口説かれた野村は、就任の条件にブレイザーのヘッドコーチ起用を挙げた。

「シンキング・ベースボール(考える野球)」をスローガンに、野村・ブレイザーコンビは、チーム改革に着手する事になり、南海は新時代を迎えた。

小久保監督にも、こんな知恵袋がいると良いのだが……
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⚾️好きな選手:牧原。今日から山川も
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