南海ホークス物語O
阪急の黄金時代が始まった昭和42年、野村は阪急の打者にある変化が起こっている事に気がついたと言う……殆どの球にフルスイングをかけてくるのだ……内角の直球はサッと左肩を引いてさばくし、外角のスライダーは、まるで「それと分かっていたように」踏み込んでくる。
「どうも、球種が読まれている……そう感じた。」と言うのだ……スペンサーが投手の癖を研究していると言う噂は聞いていた。しかし、それは春のキャンプで投手に言って、修正した筈だ……それでは、一体何が原因なのか。
答が分からず迎えた5月末の西宮球場での阪急戦、野村は、あるものを発見してしまう……サイン盗みである……バックスクリーン横に、黄色いジャンパーを着た球団職員の男女ペアが座っている……男が双眼鏡でこちらを見、野村が速球のサインをだせば、くっついて座り、変化球の場合は、離れる。
衝撃を受けた野村は、直ぐに鶴岡監督に報告した……「うちの投手が西宮で打たれまくる原因が、サイン盗みでした……」同時に、うちもやるべきではと、進言したが、鶴岡監督は取り合わない「あほな事言うな!…そんな事してまで、勝ちとうないわい!」
こうしたものは直ぐに伝搬するらしい……やがて東映・東京・近鉄など、ついにはセリーグの各球団まで……夏頃には殆どの球団が始めてしまう……サインを盗まれないよう複雑にし、「乱数表」などが登場したのも、この時期である。
乗り遅れた南海は、2リーグ分裂後、初めてBクラスに転落する事になる。 パリーグが、「南海・西鉄の両雄対決時代」から「阪急時代」へ移行した昭和42年……それは、単純な「力対力の対決」の時代から、「情報戦」時代の幕開けでもあった。
我々ファンとしては、何か淋しいものを感じたのも事実である……