南海ホークス物語D
昭和29年テスト生で入団した野村克也は、二軍戦にも使って貰えず、オフに戦力外通告を受ける……「チャンスを貰えずクビと言うのは、納得が行きません……もし決定が変わらないのなら、南海電車に飛び込んで死にます!」涙ながらに訴えたと言う
野村の悲壮な決意に押され球団職員が「ちょっと、待っとれ…」上司と相談……「よし、分かった。あと1年だけ面倒みてやる。但し、1年だけだぞ!」と九死に一生を得た。
そこから、文字通り「血の滲む様な」努力が始まる……
「数は数えてないが、恐らく毎日1000や2000は振ったと思う……日本で一番素振りをしたのは、若い頃の俺のはずだ……」 手には豆が出来、豆が潰れて血が滲む…カサブタが出来るが、それがまた破れてカサブタの上にカサブタが出来る……手の平はいつの間にか真っ黒になり、人間の手には見えないほどだったと言う。
ある日、二軍監督が野村に手を見せろという。……カサブタだらけの手をみた監督は大変驚き、二軍の選手を集めた。
「みんな見てみろ。これがプロの手だ……」
野村には、それが嬉しく、益々、素振りの回数を増やしていった……仲間が飲みに誘っても見向きもせずバットスイングを繰り返し、一軍の座を獲得する事になる。
それから27年……3017試合に出場、2901安打、657本塁打、1509打点……何れも日本で2番目の数字だ……ポジョンを捕手に限定すると、メジャーにもこれ程の打者はいない。
「これがプロの手だ……」この言葉が、その後の野村を支え、不世出の大打者を育てた。
若い人は、つくづく誉めてやらないといけないと思う……