しげちゃん (ID:MjFmNTN)
余談話。
1958年の夏。戦後の日本で開催された第40回全国高等学校野球選手権記念大会。その大会に沖縄県代表として、初出場した首里高校。1回戦で善戦むなしく敗退となる。悔しさを滲ませながら首里高校の選手達は甲子園の土を沖縄に持ち帰る。

しかし、本当の悲劇が彼らを待ち受けていた。その「土」を那覇港で捨てさせられたのである。当時の日本は戦後。沖縄はまだアメリカの施政下にあった。

そのため、甲子園の土とはいえ、植物防疫法に抵触するとの理由で、沖縄(アメリカ)へ植物にあたる日本の土を持ち込むことは許されなかった。選手達は青春の思い出すら形に残すことができず、非常に落胆していた。

しかし、その落胆を希望へと変える手が差しのべられた。当時、日本航空の客室乗務員であった近藤さんによるもの。彼女は「土を持ち込めないなら石はどうか」と発案。甲子園の「石」を集め首里高校へ贈呈したのだ。

その後、その石は野球場の形にかたどられ「友愛の碑」に刻まれることとなった。戦争、青春、希望、愛、、、様々な想いが詰まった「友愛の碑」は、今もなお、形を変えずに厳然と首里高校にたたずんでいる。まさに高校野球の原点がここにあると言っても過言ではないだろう。

当たり前のように見ている高校野球にもこんな出来事が昔はあったようです。
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💬 返信コメント:1件

ゆのゆの◆9A08jC1.oE (ID:ODE4NmF)
>>1205030

しげちゃんさんのいい話には更に続きがあります

戦後初の沖縄代表として敗退した首里高校にはたくさんの温かい声がかけられたそうですが、敢えて厳しい意見を述べられた方がいました

「キミ達の試合を日本中が称賛しているが、決してそれに満足しては…いかん。」
「練習環境や体格など…キミ達には内地とくらべてハンディキャップがあるのは事実…」
「しかし…同情されることは恥だと感じる心こそが、己を大きく育てる力になるはず。」

早稲田大学野球部の初代監督、学生野球の父と呼ばれた
飛田穂洲先生です

ましてや、プロなら尚更ですね
カープ、鯉の滝登りの勢いを見せてみろ!
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⚾️好きな選手:森下投手 田村選手
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