北別府学さん物語
出身校が都城農高だったため、宮崎県出身と間違われることがありますが、実は鹿児島県の出身です。
実家が農家でしたが兄弟が他の職業に就いたため北別府さんが家を継ぐため、わざわざ県外の農業高校を選びました。
毎日自宅から学校まで、20km近くの道のりを自転車で通学したのが下半身の鍛えに繋がり安定感のある投球フォームをつくり上げたと言われています。
中学生時代の野球大会で好成績をあげて地元鹿児島県の高校からも誘われていた。
もし鹿児島県の高校に進んでいたらどうなっていたでしょうか?
高校1年生の頃は150キロ代のストレートが主体でした
3年夏の県予選の準々決勝で勝利
しかし準決勝で敗退
この敗退で各球団のスカウトの評価が落ちドラフト候補から名前が消えた。
しかし、カープのスカウトは敗因の原因を見抜いていた
都城農業は無名校ですから、先発できる投手は何人もいるわけではありません。そこで相手によっては、打たせて取るピッチングで、出力をセーブしていたと言います。
しかも雨天続きで試合が
中止になり、3日目は、急に試合をすることになりました。
北別府さんは投球練習も満足に出来ず
スカウト談
「打たれたとはいっても、原因がはっきりしているので、私の彼に対する評価は下がりませんでしたね」
高校1年生の時
球速では「怪物江川卓」を゙見てかなわないと技巧派に転向し変化球に磨きをかけて北別府さんは、その後の、ニックネームは「精密機械」となりました。
余談
当時カープの本拠地は市民球場で放送局室と捕手が近くアナウンサーの「○○に構えました」が相手打者に丸聞こえ
カープは放送局にクレームを言ったとか。