八王子のヒマ鷹 (ID:OTg4M2J)
ホークス物語94

2006年7月、ホークスに再び激震が走った。王監督に胃癌が見つかり、休養に入るというのだ。翌日から森脇コーチが監督代行となった。

チームは城島が海を渡り、三冠王松中は首位打者は獲得したが、スランプに陥った。前年46本のホームランが19本に減った。そんな中、獅子奮迅頑張ったのが斉藤和巳だ。

松中の後の選手会長を担っていた彼は、『王監督に優勝を報告し、病から回復して貰おう』と投げ続けた。18勝5敗、防御率1.75。史上7人目の投手5冠。二度目の沢村賞を獲得した(リーグ初)。防御率1点台は、14年ぶりの快挙だった。

斉藤の奮戦にも関わらず、打線が振るわない。チーム打率は2分下がり、本塁打は半減、総得点は100点減少。チームは3位に沈んだ。もうプレーオフを勝ち進むしかない。

シーズン終盤、肩の不調を覚えていた和巳だが、『腕の1本くらい、優勝の為ならくれてやるよ』と話し、運命のプレーオフに臨んだ。

第1ステージの西武を逆転で下した。第2ステージ、初戦はダルビッシュに抑えられ、追い詰められたホークスはエース和巳にすべてを託す。

八木との緊迫した投手戦。0-0出迎えた9回裏、先頭の森本を四球で出し、賢介に送られ二死一二塁。稲葉の打球は二塁の中沢が抑え川崎にトスしたが、間一発セーフ。その間に森本が長駆ホームイン。日ハムが北海道移転後の初優勝を決めた。

残酷な終幕、和巳はマウンドで崩れ、動けない。ズレータとカブレラに抱きかかえられながら、ベンチに下がる瞬間がテレビに大写しになった。福岡ドームでパブリックビューで観ていたファンから悲鳴が聞こえて来た。多くの人が泣いていた。

その試合『腕の一本くらいくれてやる』と宣言してマウンドに上がった和巳は、やはり肩を痛めてしまった。致命的な故障となった。翌年以降、もう以前の輝きを取り戻すことは出来なかった。

武士の生き方を記した「葉隠」の中に、『武士道とは死ぬ事と見つけたり』と言う一節がある。主君の為に命を懸けて戦い、惜しげもなく自らの命を差し出すのが武士ならば…

斉藤和巳は、紛れもない武士だった……
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