ホークス物語82
96年ドラフト1位の斉藤和巳が入団した。
元々、ルーズショルダーを持っており、肩痛と闘いながらトレーニングしていた。走るだけの毎日。先輩からは『契約金泥棒』となじられた。チームメイトの冷たい視線に耐え兼ね無理して投げた。やはり痛かったが隠して投げ続けた。
98年、遂に投げられなくなり手術。リハビリ生活に入る。それまで、夜は中州に繰り出すなどしていたが、野球が出来なくなる恐怖から、もう遊ばなくなった。肩の仕組や状態を徹底的に勉強した。
この時期、和巳は人生を変える人に出会う。同じように肩の故障をしていた小久保だ。肩のリハビリは、薄皮を一枚一枚はがす様な作業だ。1歩前進2歩後退という日もある。非常に根気が要るが、小久保は黙々とこなしていた。
『実績もない自分がキリギリスで、主力選手の小久保さんが蟻。今までサボりながらやっていた事が恥ずかしくなった。彼との出会いがなければ、野球を辞めていたかもしれない。』
和巳は、小久保に『一緒に練習させていただけませんか』と依頼し、自主トレも参加させてもらった。
小久保の自主トレは、突出して厳しかった。午前中はランニング・体幹、昼にキャッチボール、午後はウエイトとダッシュ。斉藤の体は見る見る変わり、二回り程大きくなった。
2003年、球速を増した速球とスプリットが冴えわたり、16連勝(当時の日本記録)を含む20勝3敗で沢村賞・投手5冠で3年ぶりの優勝に貢献。06年にも18勝5敗で、再び沢村賞・投手5冠を獲得した。
松坂・ダルビッシュ・田中マー君は、一番尊敬する投手に斉藤和巳を挙げる。落合は『日本で最も優秀な投手。彼がいる限り、日本は大丈夫だ。』と、最大級の評価を送っている。
小久保と出会い、中州で遊んでいたやんちゃ坊主は、こんなにも凄い投手になった。
小久保・倉野ラインには、次の斉藤和巳を育てて貰いたい……