八王子のヒマ鷹 (ID:OTg4M2J)
ホークス物語76

西武時代の工藤には、度々ひねられた。大事な試合ほど彼は力を発揮し、球威と制球のレベルが高く、どうしようもない投手だった。

95年FAでホークスに移籍、秋山が野手陣に猛練習の手本になり、工藤が投手陣にトレーニングの仕方などを教え、自ら範を示してくれた。

99年の日本シリーズは、中日有利との下馬評が圧倒的であった。シーズン中の成績は、打撃も守備も中日の方が優れた数字を示していた。

ホテルに泊まりこんでの事前合宿、城島は工藤の部屋を訪ねる。中日打線のビデオを見て、対策を立てようというもの。分析してみると、鍵は1番打者の関川だった。打率330のリードオフマンを如何に抑えるかが最大の課題だ。

内角も外角も高低も打てる。穴の無い打者だ。城島が『欠点が見つかりませんね。』というと、工藤はしばらく考え、『セリーグの投手は、緩急を使ってないな。緩急で行こう。』

工藤の対策は、見事にハマった。初戦先発で関川を完全に封じ、13三振の完封勝利。関川は結局シリーズ21打数2安打、打率095に終わり『逆シリーズ男』になって中日打線は沈黙。ホークスは4勝1敗で、35年ぶりの日本一になった。

秋山がそうであった様に、工藤も率先垂範、チームを優勝争いができるチームに育ててくれ、そして日本一に導いてた。

99年9月11日、優勝目前の近鉄戦。8回2死までノーヒット・ノーランを続けていた。打者鈴木に3-1になった時、城島が『歩かせましょう。次の打者と勝負し、ノーノーを達成しましょう。』と提案した。しかし、工藤は勝負を選んだ。結果はホームラン。ノーノーは成らなかったが1安打1点完投勝利を収めた。

『俺は自分の記録なんてどうでも良い。とにかくチームを勝たせたい。優勝したいんだ。』と、城島に語ったという。

こんなチーム思いの投手だったから、後輩がついていき、チームを優勝させることが出来たのだろう……
返信する(No.354836)
⚾️好きな選手:牧原、周東、モイネロ、スチュワート
就活編集削除⚽サッカー掲示板

返信コメントをする

💬 返信コメント:0件

※返信コメントがありません


🔙TOPに戻る