八王子のヒマ鷹 (ID:OTg4M2J)
ホークス物語73

選手として三流、監督として二流、GMとしては無双。

根本氏は法大卒後、近鉄に入団するが、選手としては芽が出ず186試合出場で引退している。特筆すべきは、広島・西武・ダイエーで監督を務め、いずれもBクラスのチームを預かって、自らが去ったあと数年後に優勝させている。即ち、チームの基礎作りが上手かったのだ。

広島時代は、関根や広岡など名コーチを呼んで、衣笠・山本浩二を育て、チーム初優勝につなげた。西武時代は、田淵・山崎・松沼兄弟・石毛・秋山・工藤らを「根本マジック」で次々と獲得、後任監督に広岡・森を置いて黄金時代を作っている。

彼のチーム作りの秘密は「人集め」にある。多くの選手・コーチが彼に説得され周りに集まってくるのだ。 ダイエーでは、石毛・秋山・工藤を再び呼び寄せ、天下の王貞治まで連れて来てしまった。

根本氏の持つ何が彼らを惹きつけたのか、日大三中と近鉄でバッテリーを組んだ関根潤三氏が次の様に語っている。「根本は情に厚いんだ。声を掛けた人間は最後の最後まで面倒を見る。例え、上手く結果が出せなかったとしても、必ず再就職に手を尽くしてくれる。だから、多くの人が安心して自分の人生を預けるんだ。根本自身が選手として成功しなかったので、選手側の不安を良く理解しているからなんだろう。」

一流選手が指導者として苦労する中、選手として三流だったからこそ、GMとして無双になれたのかも知れない。

『王監督で初優勝しON対決実現』というライフワーク達成に奔走し、選手との間に立ってチームを再建していた最中、99年4月30日急性心筋梗塞で死去。初優勝直前の急逝は、さぞ無念だったろう。

99年のチーム成績は、打率リーグ4位、本塁打数3位、打点4位、防御率4位。普通は優勝できる数字ではない。ところが、サヨナラ勝ち12回でリーグ新記録を作るなど、劇的な試合を次々に勝ち取り神掛かり的な進撃で優勝につなげた。

根本さんが、天国から力を貸して下さったのだと思う……
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