八王子のヒマ鷹 (ID:OTg4M2J)
ホークス物語68

ある日、城島の父は街で喧嘩に遭遇した。一人が大勢の男に殴られている。正義感の強い父は止めに入ったが、この時の怪我で左目の視力を失った。そんな時だ、健司が生まれた。『この子にはハンデを負わせたくない』と願い不自由な目でキャッチボールも務めた。

そんな父を見て育った城島は、とても親孝行で『プロでお金を稼ぎ、釣りの好きな父に船を買ってやりたい』と努力し夢をかなえた。

95年プロ入り初キャンプ。エースの工藤の球をブルペンで受けた。達川も『素人以下』と評したキャッチングの不味さで、いい音が出せない。工藤は怒ってピッチングを止めてしまった。ここで諦めないのが城島である。夜、達川や工藤の部屋を訪ねて捕球の問題点を聞き出し改善に努めた。

打棒は素質に溢れていた。96年には二軍新記録の25本塁打。打力を活かすため、一時は、王監督も内野コンバートを考えたが、若菜コーチが『ちょっとだけ待ってください』と預かり、二人三脚で徐々に力をつけていく。

97年一軍に定着。工藤や武田に怒られながら成長していった。イニング合間に工藤から説教され、武田から蹴られる場面はテレビでも観た。『城島ほど、強靭なハートを持った選手はいない。いくら叱っても食らいついてくる。夜、部屋を訪ねて来るのは、いつも彼だった』工藤は語っている。

尊敬する王監督から『レギュラーになったら、どれ程しんどくても休んではいけない。見に来てくれるファンにために休むな』と指導され、怪我した年以外は全イニング出場を目標に頑張った。

努力が実り
・97年、最年少の捕手3割打者(21歳)
・99年、工藤と最優秀バッテリー賞
・3度の優勝、2度の日本一の主戦捕手
・第2回WBC金メダル捕手
・通算本塁打292
・生涯打率296
輝かしい記録を残した。

バッターボックスに入る前、必ず行う儀式がある。バットのグリップで家族のイニシャルをグランドに書くのだ。

『俺は自分の為に野球をやったことはない。』と話していたことがある。プロ入り前は父の為。プロ入り後はファンの為。結婚後は家族の為。

いつも他人の為にプレーしているからこそ、こんなにも強い心を持った選手に育ったのだろう……
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⚾️好きな選手:牧原、周東、モイネロ、スチュワート
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