南海ホークス物語㊷
昭和55年、甲子園のスター・ドカベン香川が入団して来た。選抜準優勝に続き、夏の甲子園では3試合連続ホームランの大会新記録。巨体に似合わず動きも俊敏で、2塁に矢のような送球で盗塁を刺す強肩の捕手でもあった。
南海でのデビュー戦も衝撃的だった。日生球場での初打席、近鉄のエース井本から場外ホームランを放った。「プロ初打席場外本塁打」の記録は、80年を超えるプロ野球の歴史においても、今だに香川だけである。
人気者のデビュー戦を見に行こうと日生球場は満員になり、ホームランが出た瞬間は一塁側の近鉄ファンも含めて総立ちとなる大歓声。野村が去った後の新しいスターの誕生を予感させた。
その後、昭和58年には打率313で、落合と首位打者を争いベストナインを獲得するなど、順調に育ってきたが、太りやすい体質に、人から誘われると断れない気のいい性格。人気者の宿命でタニマチ筋からの誘いも増え、90キロ台だった体重が130キロを超えるようになった。
そうなると、もうダメだ。動きが悪くなり、盗塁阻止率や打撃にも悪影響が出始めた。その後は、徐々に出番が減り始め、平成元年、ダイエーの初年度、29歳の若さで引退を決意した。
大阪球場での試合前、香川がウォーミングアップに出てくる。観客の一人がヤジる「おーい、香川、問題出したろか?3+5は、なんぼや?」
香川が指で大きく「8」を描いて見せる。
観客「そや!そのくらいは、お前でも出来るんやな!ほなら、7+9は、なんぼや?」
香川、首をかしげる。観客席は「ドッ」と沸く……
とにかく、サービス精神の旺盛な選手だった。南海の長期低迷期、チームの成績が期待できない中、香川を見に集まったファンも沢山いたと思う。
52歳での早逝は、あまりにも早かった気がする……