八王子の暇鷹 (ID:MzY2OTd)
南海ホークス物語39

野村監督は、就任時、コーチ組閣で新山球団社長と対立した。球団OBにこだわる社長に対し、監督は指導力ある外部からの人選を主張し、沼沢打撃コーチ・松田投手コーチなどを実現させた。この時のしこりが、溝になり、後に決定的な対立を産んだのだ。

川勝オーナーは現場のノムさんに軍配を上げ、新山球団社長は更迭されることになる。去り際、新山社長は親しい記者に『野村はこのままでは済まさない。』と怒りのコメントを残したという。

昭和52年、新山は『サッチー問題』を週刊誌にリークする。野村は、球団後援会副会長の娘と1回目の結婚をしたが、関係は長く続かず、妻の不倫問題で別居。実質的な夫婦関係は終わっていた。そんな時に現れたのがサッチー。二人の関係は急速進展し同居も始めた。

そんな中での週刊誌報道。野村は妻の名誉の為に、原因についてはダンマリを決め込んだ。しかも妻の父は、球団を経済的に支える後援会副会長だ。球団幹部は野村にサッチーとの関係を清算するよう求めた。

『女と別れろ!仕事を取るか、女をとるかだ!』

これに対し、ノムさんは『女を取ります。仕事はいくらでもありますが、沙知代は一人しかいない。』何と監督を辞任してしまった。 こうして、ミスター南海とも言える野村がチームを去る事になった。

新聞報道で知った私は愕然とした。『何と愚かな決断をされたのだろう。』監督の気持ちが理解できなかったものだ。その後のチームの急速な弱体化を見るにつけ、その気持ちは強くなった。

しかし、当時18歳だった私も今や65歳。家族を持ち、人生の何たるかも少しは解るようになってきた。打算で判断すると仕事(野球)を選ぶのが普通の男だろう。そこを家族(沙知代と克則)を選んでしまうのが、ノムさんの最大の魅力だと理解できるようになってきた。

男として、見事な決断だったかもしれない……
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バスケ編集削除⚽Jリーグの日🕑

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