山川、ドスコイを50回は見たい! (ID:Yzg4ZDV)
南海ホークス物語M

日本人メジャー第一号は、野茂英雄ではなく、南海の村上雅則であったことはご存知だろうか・・・・・・昭和38年入団した村上は、翌年サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1A・フレズノに野球留学派遣された。「アメリカで投球を勉強したい」という本人の希望を、「チームの為にもなるだろう」と鶴岡監督の恩情で実現したのである。

当初の派遣は6月末までであったが、左サイドスローの軟投派で制球力の良い村上に着目した米側は、期限が過ぎても帰国させず、8月にはメジャー契約してしまう・・・・・・9月1日、ついにメジャー昇格。メッツ戦で初登板すると、9試合に登板、1勝1セーブ8ホールド、防御率1.80の好成績を上げた。

ジャイアンツとしては、「これだけ素質豊かな投手を日本に帰すわけがいかない」と、南海側と保有権をめぐる紛争が勃発した・・・・・・当時は、日米協定もしっかりできておらず、米コミッショナーもジャイアンツとの契約を全面支持、この問題は日米の野球界を揺るがす大問題に発展していった。

NPBコミッショナーも緊急渡米し、結局、昭和40年はジャイアンツ・翌年から南海ということで決着した。契約上は日本側が不利な状況だったが、最終的には、本人の意思が尊重され、帰国が実現したのだ。

「そのまま自分の夢であったメジャーに残りたいという気持ちは確かにあった・・・・・・しかし、恩ある鶴岡監督との約束を破って、大リーガーになるという選択肢は、私にはなかった。」

帰国した時、出迎えに来てくれた鶴岡さんの笑顔を見て、『この人を悲しませる様な事をしなくて良かった・・・』と実感した。」村上は後に語っている。

心ある人は、心ある人を、そう簡単に裏切らない・・・・・
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⚾️好きな選手:牧原。今日から山川も
就活編集削除⚽水戸vs清水🕑

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