南海ホークス物語K
企業創業者から2代目へのバトンタッチで、社員が2代目の言う事を聞かず、潰れた企業を見た事があるが、南海にもそんな悲劇が起きた。
昭和40年、巨人との日本シリーズに破れた南海・鶴岡監督は、6度目の選手権敗退の責任を取り、辞表を出した。「チームにマンネリ化の波が押し寄せ、これは自分が引くしかない」と考えての決断である。……後任は、蔭山ヘッドコーチ。……入団依頼「理論派」として、チームの作戦面を担って来た右腕へのバトンタッチであった。
「就任1週間で、コーチ人事を決めること……」蔭山新監督は、最初の仕事として球団から指示される……ところが、現任のコーチ陣は首を縦に振らない。「南海は、いつまでも鶴岡親分が監督をやるべきだ……貴方の下でコーチをするつもりはない……」全てのコーチから、協力を拒否されたと言う。
「新監督就任」が新聞発表されても、「おめでとうございます」と電話があったのは、選手会長の野村からだけであった。 悩んだ蔭山は、夜も眠れず、睡眠薬に頼り体調を壊して行く……亡くなる前日、若い選手の結婚式があった。蔭山と同じテーブルの野村は、食事に全く手を付けない新監督を見て「大丈夫ですか?」と声を掛けたが、殆ど、上の空の状態だったと言う
その夜、ブランデーと睡眠薬を大量に飲んだ蔭山は、帰らぬ人になってしまった……享年38……新監督就任4日目の事である……昏睡状態になる寸前の最期の言葉が「野村を呼んでくれ……」だったとか……球団で唯一の理解者に、何を話したかったのか……
こうして、蔭山政権はたった4日で終わりを告げ、鶴岡監督が涙の監督復帰会見を行ない、南海は昭和41年も鶴岡体制で戦う事になる…… 鶴岡一人と言う偉大な父親から、巣立ちの時期を迎えても、上手く巣立てない南海の選手・コーチ達の気持ちに……兄貴分の蔭山は呑み込まれ、命まで落としてしまった。
人の心には、本当に恐ろしい時がある……