デイリースポーツ
ユニホーム着ると鬼、脱げば温和な藤村隆男さん カープOB安仁屋宗八さんが振り返る昭和プロ野球
広島の鬼軍曹と呼ばれた藤村隆男さんの話。
兄は阪神で監督もされた“物干し竿”で有名な富美男さん。
阪神に入団してシーズン20勝をしたこともある隆男さんは現役最後の年を広島で送り、そのままコーチになった。僕が入団したころは1軍の投手コーチ。単身で来ていたので、三篠の三省寮に入って寮長も兼ねていたから、僕ら寮生活組は大変だった。年末ぎりぎりまで帰省できず、とことん鍛え上げられたからね。
とにかく走れ!投げろ!の人。特にランニング量は半端じゃなかった。寮から一本道の先に三滝という坂があって、その坂を利用した練習は地獄そのもの。
ウサギ跳びで長い坂を上って行くなんて高校でも味わったことのないシゴキ。馬跳びもやった。
シーズンを通して毎朝の体操前に、平和公園までの往復ランニングがあった。「ハイ、これで朝飯食ったら倍ほど食べられるぞ」と言われてね。
いつだったか、国鉄スワローズとの試合前練習で、金田正一さんが「藤村さん、もうやめてやってください。選手が死にますよ」と助け舟を出してくれたことがあってね。あの金田さんがそう言うぐらい厳しかった。
鬼のような藤村さんもユニホームを脱ぐととても温和な人で、最高の“お父さん”という感じだった。「おんどりゃあ!」と叫んでいたのが信じられないほど。
カープの猛練習は、あのころから始まったように思う。その中で僕は人の倍、鍛えられた気がするね。藤村さんのおかげで足腰が強くなり、今の自分があると。現役を退いた時にそう思ったね。
厳しかった半面、グラウンドを離れると食事やコーヒーに誘われ、村山実さんや金田さんら他球団の選手の練習なんかも教えてもらった。やっぱりみんなよく走って、よく投げていたと。
技術面ではあれこれ注文をつけず、肝心なところでアドバイスをしてくれた。僕もああいうコーチになりたいと思ったものですよ。感謝しかないね。
今ではパワハラと言われる昭和の話
長文失礼しました。